03 飼育(2)

 動物がかわいそう と口にしながら、
 毎日、毎日、彼らを殺して生きている私たちです。
 でもしかし、たとえば、釣りです。
 自分たちが生きていくために、
 仕方なく魚を殺やめるのなら、納得もしましょう。 
 けれど、単なる楽しみで魚の命を奪うことは、悲しいことです。
 もう一つ例をあげれば、競馬です。
 より速い、スタミナのある競走馬をつくり出すために、
 さまざまな配合が試されます。
 インブリードと呼ばれる近親相姦は、
 速く、強い馬を誕生させる可能性の裏側に、
 体の弱い、時に奇形児すら生まれてくる悲劇をひそませています。
 すべて、人間の欲望によるものです。
 最高の競走馬を!
 そんな勝手な欲望が、馬たちの命を弄びます。
 
 犬の歴史だって、同じようなものです。
 私の家には、ポメラニアンという小型犬が2匹います。
 彼らの祖先は、ある本によれば、
 サモエドという少し大きな種類の犬だそうです。
 それを、「小さい犬が欲しい」と、人間のそんな欲望から、
 やっぱり競走馬と同じように、さまざまな配合が試され、
 数多くの犠牲の後、体の小さなポメラニアンは誕生しました。

 前置きが長くなりました。

>図鑑だけで育つ子供には決してその動物の本当の魅力は解らないのでは
>ないでしょうか?


 Gさんの言われる「動物の魅力」とは、なんなのでしょう?
 極端な例をあげますが、
 捕らえてきた昆虫を、お菓子の空き箱に虫ピンで突き刺し飾ることで、
 理解することの出来るものでしょうか?
 あるいは、ずっと昔の私がそうだったように、
「アリの巣セット」の中に、いくつかの命を閉じこめることで、
 知ることの出来るものなのでしょうか?
 私はそうは思いません。

 「図鑑だけ」とは、私の言葉が足りませんでした。
 図鑑を眺めていれば、本物を見てみたくなります。
           本物に触れてみたくなります。
 それは当然の興味です。
 しかし、だからといって、かぶと虫を捕まえ、
 小さな昆虫カゴの中に入れてしまうことが、許されるのでしょうか?
 動物の魅力とは、
 そのような方法でしか、理解することが出来ないのでしょうか?
 かぶと虫を知りたければ、
 彼らの暮らす山にでも出かけてみればいい。
 もしもその山が遠く少ないと言い訳するのなら、
 それは人間の勝手というものです。
 彼らの暮らす場所を狭くし、遠くに追いやったのは、
 私たち人間です。
 そんな彼らを捕獲し飼育することが、
 彼らの魅力を知る方法だとしたら、
 これは私の考える魅力とは別のものです。
「キミの魅力を知りたいからボクに捕まって!」 
 そうお願いすれば、かぶと虫たちは、
 差し伸ばされた昆虫網に、身をゆだねると言うのでしょうか。

 Gさん ごめんなさい。
 反論してばかりです。

 お叱りを受けることを承知の上で、もう少し続けます。

>「何故、死んでしまったのか?」子供達が心のどこかで、そう
>思ってくれれば、消えていく動物達も少なくなると思います。


 これは、あまりに人間本位のコメントですね。
 人間がいちばん偉いんだゾ!
 といった、奢りではないでしょうか?
 いえ、確かに私たちは人間ですし、
 人間中心の社会の中で暮らしています。
(もしかしたら、そうではないのかも知れないけど…)

 試しに人間もオリの中に閉じこめてみましょうか。
 無作為に何人かを選んで、
 狭い空間の中で一生飼育してみる。
 無作為の選出がダメだと言うのなら、
 学校の成績の悪い生徒から選びましょうか。
 会社で営業成績の上がらない大人からにしましょうか。
 そうして、彼らオリの中の人間が、
「なぜ死んでしまったのか?」と、考える。
 深く考えるのではなく、
 心のどこかで、そう思えばいいのですね。
 それで、消えていく人間が少なくなる。

 さてこんなこと、出来ないでしょ?
『当たり前ジャン。だって人間は特別でしょ』
 と、Gさんが反論されるのでしたら、
 この議論はおしまいにします。
 最初からスタンスが違っていては、
 どこまで行っても意見は交差しません。

 ♪水と光と動くものと
  土と緑と、そして私…

 -私の好きな岡林信康の歌です(年齢が知れますね)。


 学生の頃、戸川幸夫さんの小説をいくつか読んだことがあります。
 戸川さんも、Sさんが自己紹介されていたような、
 いろんな生き物に囲まれた少年期を送られた方のようです。
 戸川さんは、そのたくさんの執筆物の中で、
「種の存続」と云うことを、さかんにおっしゃっています。
 直木賞を受賞された『高安犬物語』なども、
 そんな作品のひとつでしょう。
 戸川さんの書かれる小説は、とても楽しく、
 共感もしたのですが、
 戸川さんと自分の立場のちがいも感じながら読んでいました。
 動物学者である戸川さんは、
 動物を飼育しておられたのですね。
 私は、パートナーとしてだけの彼らを求めて、
 いっしょに生活しています。

 もうひとつ、本の紹介をします。
 これは私の妹からすすめられて読んだ本なのですが、
 内田百ケン(字が変換しない。門構えに月です)の、
「ノラや」という小説です。
 百ケン先生の自宅の庭に迷い込んできた一匹の猫に、
「ノラ」と名前をつけていっしょに生活することになるんですが、
 そこで巻き起こる騒動と、その時の百ケン老人のあわてぶりが、
 なんとも楽しく綴られています。
 私は、戸川先生ではなくて、百ケン先生に近いのです。
 猫の生態なんかには疎くても、たまらなく彼を愛している。
 百ケン先生は、「ノラ」を飼育なんかしていません。
 それはもう、間違いなくパートナーとしてだけの位置に、
 ノラを置いています。

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>ろんすさんの例えはみな、動物を殺してしまうことに繋がっている
>様な気がするのです。
>「アリの巣セット」はアリを生かす為の設備が整っていましたか?


 Gさんのおっしゃってることは、
 動物を飼う場合には、しっかりと飼う側が勉強をして、
 彼らにふさわしい生活環境を整えることが大切だと、
 そういうことですね。
 でも私は、飼うことそのものを否定します。
 
>幼い子供達だから許される行為だとは言えませんが

 ですね。
 幼い子供には、彼らの生活環境を整えることなど、
 無理ですよね。
 知識のない子供たちが、動物たちを飼うことで、
 もしかしたらその子供には、勉強になるのかも知れない。
 でもその犠牲として死んでいく動物たちにとっては、
 たまったもんじゃないですよ。
 本来自然の中で生活している動物たちを、
 人間の近くに置いて育てることは、
 彼らを殺してしまうことにつながっているのです。
 Gさんが、私のあげた例を読まれて感じたとおりです。
 子供たちにせよ、あるいは大人にせよ、
 許される行為ではありません。
 これが私の生意気な答です。